上原選手引退! 雑草魂の凄さ!
どうもくろすけです。
イチロー選手に続き、球界のスター上原選手が引退しましたね。
上原選手と言えば、読売巨人軍のエースで「雑草魂」のキャッチフレーズで一時代を築き上げました。
本日は上原選手の凄さについてご紹介したいと思います。
高校時代は控え投手
上原選手は中学時代は陸上部で高校時代は控え投手でした。(エースは元日本ハムの建山選手)
甲子園にも出場経験はありません。
ずっと光の当たらない日陰で頑張ってきた上原選手はエリートたちには負けたくないという強い反骨心を持っていたようです。
一浪して大学へ
上原選手は大学受験に失敗し、浪人生活で苦しい1年を過ごした。
そのため、上原投手は1999年に巨人へ入団してからメジャーリーグへと挑戦するまで背番号「19」を着け続けてました。
これは浪人していた「19歳」の頃を忘れないためだそうです。
ルーキーイヤー20勝4敗 新人王&沢村賞
上原選手はルーキー1年目から20勝4敗の成績で投手の主要タイトルを総ナメ。さらに新人王、そして投手にとって最大の名誉である沢村賞を受賞しました。
世界のウエハラ
09年にはFAでオリオールズに入り、あこがれのメジャーへ。
最初は先発だったが、1年目はケガでほとんど活躍ができなかった。
2年目の途中から先発からリリーフに回ると本領発揮。
クローザーとして起用され、1勝2敗13セーブ。翌年はセットアッパーで防御率1.72の成績を残しました。
パワー全盛のメジャーリーグで145キロにも満たないストレートとスプリット、そして針の穴を通すコントロールでメジャーの強打者達をきりきり舞いにしたことから世界のウエハラへとなりました。
ワールドシリーズ胴上げ投手
2013年10月31日、ワールドシリーズの
第6戦レッドソックス vs カージナルスの試合でメジャーリーグの頂点をレッドソックスが掴んだ瞬間、マウンドに立っていたのは上原投手でした。
日本人として初の胴上げ投手となりました。
トリプル100
2018年7月21日、
マツダスタジアムで行われた「読売ジャイアンツ」VS「広島カープ」戦の7回、8ー8の同点の場面で上原浩治投手が登板。
これにより
日米通算100勝100セーブ100ホールドの『トリプル100』という日本人初の記録を達成しました!
最後に
最後まで閲覧いただきありがとうございました!
上原選手今までお疲れ様でした!
これからも「雑草魂」をプロ野球界に広めてくれることに期待してます!